ご家族に認知症の症状が出ていると、この段階では遺言書を書いてもらうことはもうできないのか?と悩まれる方が多くいらっしゃいますが、しかし実際には、認知症だったら遺言書が一切作れない、というわけではありません。
本記事では、認知症と遺言書の関係、判断能力の基準、症状に応じた対応策まで幅広く解説します。
1. 認知症と遺言書作成の関係 ― なぜ問題になるのか
1-1. 「認知症=遺言が無効」ではない?法的な位置づけ
「認知症になってしまうと遺言書は作れない」「認知症の人が書いた遺言は無効になる」というイメージを持たれがちですが、法律上は必ずしもそうではありません。
民法では、遺言書の作成には「意思能力(=自己の行為の意味や結果を理解できる能力)」が求められています。
つまり、認知症であっても、その人が遺言作成時に十分な判断力を持っていれば、その遺言書は有効となります。
1-2. 遺言書作成に必要な意思能力とは
意思能力とは、遺言の意味を理解し、内容や結果を判断できる能力を指します。
たとえば、財産の内容・相続人との関係・財産の分配の意図などを本人が正確に認識できる状態が必要です。
この能力は、病名だけで判断されるのではなく、遺言をした時点での判断力がどうだったかで評価されます。
意思能力の有無は、認知症という診断名そのもので評価されるものではないという点がポイントです。
1-3. 家族が遺言書作成を促すときに起こりやすいトラブル
家族として「遺言書を作っておいてほしい」と思うことは自然な気持ちですが、
その働きかけが強くなりすぎると、周囲から「無理やり書かせたのではないか」と疑われる原因になることがあります。
特に、他の相続人と利害が対立するような内容になっている場合には、
「この遺言は本人の意思ではない」として、遺言の無効を主張する訴訟に発展するリスクも十分に考えられますので、注意が必要です。
2. 遺言書が有効となるための「意思能力」の判断基準
2-1. 民法における意思能力の定義と判断時期
民法上、遺言書を作成するためには、作成者の意思能力が必要です。
そして、遺言の有効性を判断するうえで最も重要なのは、遺言書を作成した「その時点」において本人に意思能力があったかどうかです。
したがって、たとえ認知症と診断されていたとしても、作成当時に判断力が一時的に回復していた場合には、その遺言が有効と判断される可能性は十分にあります。
※ここでいう意思能力とは、自分の財産を誰にどう分けるのか、その内容と結果を理解・判断できる力を指します。
2-2. 医学的評価:長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)の活用
意思能力の有無は最終的に裁判所が判断しますが、医学的な指標も実務上重視されています。
その代表的なものが、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)です。
HDS-Rとは、医師が認知症のスクリーニングとして用いる問診式の評価法で、30点満点中、点数が高いほど認知機能が保たれているとされます。
一般的な基準は以下のとおりです。
| 評価スコア | 認知機能の目安 | 遺言作成への影響 |
|---|---|---|
| 25点以上 | 認知症の疑いなし | 問題なく作成可能なケースが多い |
| 20〜24点 | 軽度認知障害(MCI含む) | 医師の診断書や公証人関与で有効性を担保すべき |
| 15〜19点 | 中等度の認知症 | 原則難しいが、作成時の判断力が明瞭だという証拠があれば可能性あり |
| 14点以下 | 高度な認知症 | 遺言作成は困難と評価される可能性が高い |
※このスコアはあくまで参考であり、遺言の有効性は個別事情に応じて判断されます。
2-3. 裁判所における意思能力判断の実際
実際に遺言書を作成したものの、認知症を理由として判断能力が無かったはずだから遺言は無効だという主張をされたときは、裁判所にてその有効性を判断してもらうこととなります。
裁判所では、以下のような複数の要素を総合的に考慮したうえで、遺言の有効無効を判断します。
裁判所が遺言の有効性を判断する観点の例
- 長谷川式スケールなどのスコアや診断名
- 作成当日の医師の診断内容
- 作成時の会話記録・映像記録
- 公証人や弁護士の所見・立会人の証言
- 遺言内容の複雑さ・整合性
たとえば、長谷川式スケールが18点と中等度の認知症と評価されながらも、作成時の会話能力や理解力が作成当日の記録で確認できたことから意思能力あり・遺言内容は有効とされるケースもある一方で、認知テストは受けておらず当時の点数は不明なものの、当時の介護記録等から重度の認知機能低下が見受けられるような場合は、内容を理解して遺言書を書けるだけの判断力はなかったとして遺言無効とされるケースもあります。
3. 認知症の進行段階別に見る ― 遺言書作成の可否と対応策
意思能力が遺言書の有効性を左右する以上、「認知症だから遺言書を作れない」と一概に判断するのは早計です。
現実には、認知症の進行度合いや当日の体調、支援体制によっては、遺言書作成が可能なケースも少なくありません。
ここでは、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)などで想定される進行段階ごとに、遺言書作成の可否や必要な対策を解説します。
3-1. 軽度認知症(長谷川式スケール 20〜24点)|作成可能だが慎重に
軽度認知症(いわゆるMCI:軽度認知障害)と診断された場合、多くの方は日常生活に大きな支障がない状態です。
この段階であれば、遺言書作成に必要な意思能力が保持されている可能性が高く、作成は十分可能です。
ただし、以下のような配慮が重要です。
- 作成時の体調や時間帯に注意(本人の判断力が安定している時間に作成)
- 作成当日の医師の診断書を取得
- 公正証書遺言の形式を選択し、公証人に意思能力を確認してもらう
将来の無効リスクを避けるためにも、専門家によるサポート体制を整えた上での作成を強く推奨します。
3-2. 中等度認知症(長谷川式スケール 15〜19点)|ケースによっては可、慎重な証拠化が必須
この段階では、日常的な判断や記憶に不安が出始めることが多く、遺言内容を正確に理解・判断できているかどうかが問題になります。
作成自体が絶対に不可能なわけではありませんが、意思能力があったことを立証する責任が重くなるため、次のような対応が必要です。
- 遺言内容はできる限り簡潔に明確化する(複雑な遺産分割は避ける)
- 複数の第三者(公証人・弁護士・医師)の関与と記録化
- 会話の録音・録画なども併用することで、後日の証拠力を高める
実務上、この段階での作成は裁判リスクを見据えた準備が不可欠とされます。
早めに弁護士と相談し、戦略的に進めることが必要です。
3-3. 高度認知症(長谷川式スケール 14点以下)|原則として遺言作成は困難
この段階では、自分の財産状況や相続人の関係性を理解すること自体が難しくなるため、法律的にも意思能力の喪失が認められるケースが多くなります。
この状態では遺言書の作成が厳しく、仮に遺言書を作成しても、後に無効と判断される可能性が極めて高く、争いの火種にもなりかねません。
遺言書に代わる生前対策を検討することも一つですが、遺言書の作成が難しいほどに判断能力が低下してしまった場合、すでに家族信託や任意後見契約といった代替手段は使えません。
この段階で取れる法的手続としては、家庭裁判所に「成年後見人」の選任を申し立てたうえで、適切な形で財産の管理をすることが現実的な選択肢です。
ただし、成年後見制度は本人の財産を守ることが主な目的であり、遺産分割対策や節税といった生前相続対策はほとんど行うことができません。
そのため、意思能力があるうちに対策を講じることが、実効性のある相続対策には不可欠といえます。
補足:成年後見制度の役割と限界(できないこと)
成年後見制度は、あくまで本人の財産を保護し、生活を維持することを目的としています。
そのため、後見人には以下のような制限があります。
- 本人の財産を誰かに贈与することはできない
- 遺産分割に備えた不動産の名義変更や持ち株の移動なども原則できない
- 相続税対策としての資産移転や贈与、信託設定も不可
財産を処分することで本人の利益となる場合は、後見人の権限で実行をすることが可能となる場合もありますが、必ず裁判所の許可が必要です。
相続対策を行うという観点においては、極めて限定的な権限しか持たないことに留意が必要です。
4. 認知症の家族に遺言書を書いてもらうときの注意点
4-1. 本人の意思を尊重する姿勢が最優先
遺言はあくまでも本人が自身の財産を誰にどう残すのかの意思を書き記すものです。
そのため、家族側が「このように分けてほしい」「あの人には渡さないでほしい」などと内容に過度に関与することは厳禁です。
たとえ善意であっても、結果的に遺言の自由を侵害したと疑われると、遺言が無効になる可能性があります。
本人が納得し、自分自身の言葉で判断・説明できる内容であることが大前提です。
なお、トラブルの多くは、形式上は本人が作成したことになっていても、実質的に家族が指示したのではないかと後から疑われる点にありますので、これを避けるためには、作成時に第三者(公証人、弁護士)を関与させることが最も有効です。
4-2. 公正証書遺言での作成を行う
認知症の疑いがある状況で遺言書を作成するときは、公正証書遺言での作成を強く推奨します。
公正証書遺言を作る際は、公証人が本人と直接面談し、遺言の内容について本人の理解と意思を確認したうえで作成するため、後になって「遺言は無効だ」と争われた場合でも、作成時に意思能力があったことを示す有力な証拠となります。
なお、認知機能の低下がある場合には、事前にかかりつけ医や専門医の診断書を取得しておくことで、作成時点の判断力を医学的に裏付けることができるので、併せて実施しておくとよいでしょう。
場合によっては、作成過程の一部を録音・録画し、本人が自分の意思で内容を語っている様子を残しておくことも、後日の紛争予防に非常に有効です。
5. よくあるご質問(FAQ)
Q1:認知症の傾向がある場合、医師からどんな診断書をもらえば遺言作成に役立ちますか?
A:遺言作成時点の判断力(意思能力)を明示した診断書が望ましいです。
医師に依頼する際は、長谷川式スケールのスコアなどの数値評価に加えて、
- 日時を特定した診断(作成当日または前後)
- 「遺言作成に必要な判断力がある」との医師の所見
が記載された診断書が理想的です。
医師が法的判断をするわけではありませんが、裁判などで意思能力の有無が争われた際に非常に重要な間接証拠となります。
Q2:遺言書と家族信託はどちらを優先すべきですか?
A:それぞれ目的が異なるため、併用することで効果的な相続対策が可能です。
遺言書は、本人の死後に効力が発生し、財産の承継先を定めるための手段です。
一方、家族信託は、本人が元気なうちから財産管理を第三者に委ねることができる制度であり、
たとえば、将来の認知症リスクを見据えて不動産の管理や名義変更を柔軟に行いたい場合などに有効です。
ただし、家族信託では対象にできない財産(年金受給権や生命保険金の受取人など)もあるため、
信託でカバーできない部分を遺言で補うという併用設計が現実的で効果的です。
どちらを優先すべきかは、
- 財産の種類(不動産中心か、預貯金・証券か)
- ご家族の構成
- 生前管理を重視するか、死後の分配を重視するか
によって異なります。
まずはご事情を整理したうえで、弁護士をはじめとする専門家に相談し、全体設計を整えることが重要です。
Q3:遺言書の内容をあとから変更してほしい場合、どうすればよいですか?
A:再度希望する内容で遺言書を作り直すことで、遺言書の内容を変更することができます。いつでも何度でもやり直すことが可能です。
ただし、再度作成をする段階で本人の意思能力が残っていないような場合は、作り直すことができませんので、できるだけ早めにご相談いただくのが安心です。
なお、公正証書遺言を作成した後で変更する場合も、同じく公証役場で公正証書遺言を再度作り直すという手順となります。
Q4:専門家に頼まず、自分たちだけで遺言書を作るのはリスクが高いですか?
A:認知症のリスクがある場合、専門家の関与なしでの作成は非常に危険です。
自筆証書遺言など、形式的には手軽に作れる方法もありますが、
- 内容が曖昧でトラブルになる
- 法的に無効(署名・日付・押印の不備など)
- 本人の意思能力が後から疑われる
といったリスクが高くなります。
特に高齢・認知症の傾向がある方の遺言書の場合は、公正証書遺言+専門家の関与によって、本人の意思能力を証明・証拠化することが不可欠です。
認知症と診断されていても、遺言作成時に本人が自身の財産内容や分配の意図を理解し、判断できていれば、有効な遺言を書いてもらうことが可能な場合もあります。
認知面で少し不安があるけど遺言書を書いてもらえるのかとお悩みの方は、できるだけ早めにご相談ください。
Nexill&Partners Group(弁護士法人Nexill&Partners)
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