未払い残業代を従業員から請求されるケースや、退職後にまとめて残業代の支払いを求められるケースなど、企業側にとって未払い残業代は法的対応が必要なものの一つですが、未払い残業代の請求には時効が存在します。
本コラムでは、未払い残業代の請求を受けた場合に、使用者側である企業がどのような対応をすべきかについて、弁護士が解説します。
もくじ
1. なぜ未払い残業代は発生するのか?どこまで請求されるのか?
未払い残業代が発生してしまう大きな原因として、企業側で賃金計算を正しく行えていなかったことや、労働者の労働時間管理が不十分であることがあげられます。
残業代が正しく計算されておらず、従業員に対して適切に支払われていない場合、特に退職後にまとめて未払いの残業代を請求されるケースは少なくありません。
この場合では、過去にさかのぼって残業代を請求されるため、一度に多額の支払いを求められる可能性があります。
実際に過去の分をどこまで請求されるのかという点については、労働基準法上、残業代に当たる賃金債権は3年を時効期間としていますので、「過去3年分」まで請求ができるようになっています。(従来は2年を時効期間としていましたが、労働契約法や民法などの改正の流れも含め、社会情勢に合わせて労働者保護を強化する趣旨で2020年に労働基準法が改正され3年に延長されました。)
2. 未払い残業代の時効期間の延長により異なる時効期間が存在する
2-1. 新旧法で異なる時効期間:2年→3年
前述したとおり、2020年の労基法改正により未払い賃金(残業代を含む)の時効期間が2年から3年に延長されましたが、改正法施行前の残業代債権については2年のままなのか、それとも3年になるのか、という点については、細かい経過措置が設定されています。
実務では、請求の対象期間に改正施行日をまたぐ場合、どの範囲を2年とし、どの範囲を3年とするかを分けたうえで計算をする必要があります。
2-2. 時効期間が異なる際の企業対応の実際
このように、法改正前の債権と改正後の債権が混在する状態になる可能性があることから、使用者としては、残業代の請求対象期間によって起算点を正確に把握しなければなりません。
すでに時効にかかっている範囲まで支払いをしてしまうこともあるため、弁護士に相談の上で時効期間の線引きを正確に行うことが必要となります。
3. 時効が成立するための要件と計算方法
3-1. 「賃金債権」の性質と時効のスタート地点
労働基準法上の賃金(残業代含む)は、労働の対価としての性質を持つ「賃金債権」です。
これらの債権の時効は、賃金が「支払われるべき日」からカウントされるのが一般的です。
具体的には、賃金の支給日が例えば毎月25日である場合、その時点で未払いが確定したとみなされ、そこから3年が経過すれば時効が成立し得るという考え方です。
3-2. 「最後の支払日」を起算とするケースもある
一般的に、残業代請求の時効の起算点は、「賃金の支払日ごと」かつ「請求される賃金の各支払日の翌日」から、それぞれ時効が進行すると考えるのが原則です。
ただし、退職後に未払い残業代をまとめて請求するといった状況では、使用者側・労働者側双方が「いつから時効がスタートするか」を巡って、最終賃金日や退職日を基準に議論することがあります。
ただ、この点は法律実務の解釈に委ねられる余地が大きく、実際には「各賃金請求権ごとに支払日の翌日から時効が進行する」と考えるのが原則的となります。
3-3. 残業代請求における利息・遅延損害金の取り扱い
未払い残業代については、原則として法令上の利息・遅延損害金が発生する場合があります。
裁判などで認容されれば、請求総額に加算されるため、企業側は結果的に当初の想定以上の金額を支払わなければならなくなるリスクがあるのです。
たとえば、請求期間が長期にわたると、その分だけ利息・遅延損害金が蓄積される可能性があり、さらに退職後であっても支払義務が否定されるわけではありません。
民法や労働基準法などの関連規定に基づき、時効の起算点や計算方法が争点となるケースも少なくないため、企業は早期に未払い残業代の有無を正確に調査し、必要な場合は迅速に精算手続きを取るなどの対策が必要となります。
違法な長時間労働や管理体制の不備があれば、その改善も含めて総合的な労務リスクをコントロールすることが求められます。
4. 時効が完成しないケースに注意が必要
4-1. 書面での請求や裁判上の請求があると時効は中断される
賃金債権の時効は、従業員が書面で請求するか、あるいは労働審判・訴訟などの法的手続きに着手することで一時的に中断されます。
これを「時効の中断」と呼びます。
書面での請求は「内容証明郵便」などの形を取ることが多く、企業側は日付や送付の事実を証拠として残される点に要注意です。
もし裁判上の請求がなされると、裁判所に訴状を提出した時点で時効は一旦リセットされ、あらためて計算されることになります。
4-2. 時効が中断されたときに企業側で留意しておくべき点
時効中断の連絡を受けた場合、まず企業としては「どの程度の期間が延長され得るのか」「賃金台帳・タイムカードなどの証拠資料は十分に整理されているか」を確認する必要があります。
時効が延長されることで、従業員の請求可能な期間が結果的に広がり、残業代総額が増大するリスクもあるからです。
また、中断後に紛争が長期化すると遅延損害金(または年14.6%の賃金債権に対する付加金など)が付される可能性も高まります。
未払い残業代の請求を受けた場合は弁護士に早めに相談し、以下のような点を整理・対応しておくことが重要です。
- 文書保存や勤務実態の確認:いつ・どれだけの残業が発生していたかを客観的資料で検証
- 賃金規程や就業規則の見直し:違法な運用や誤った支払計算がなかったか再点検
- 誠実な交渉方針:和解の可能性や裁判の見通しを検討し、社内意思決定を迅速化
特に、追加的な請求が出てくる可能性や、複数の従業員から同様の要求が波及するケースもあるため、一度時効が中断された段階での放置はさらなる損害を招きかねません。
社内の労務管理を再確認しつつ、時効が完成しない状態でのリスク評価を行い、必要に応じて早期に弁護士の助言を仰ぐことが紛争拡大の防止につながるでしょう。
5. 残業代請求における和解・訴訟の流れ
企業側が残業代請求を受けた場合、まずは労働者との話し合いを通じて合意点を探り、早期に紛争を収めることが望ましいといえます。
もっとも、労働者の請求金額が大きい、請求根拠に争点がある、あるいは請求期間が時効中断の影響で長期化しているなど、主張が対立してスムーズな解決が難しい場合には、最終的に訴訟や労働審判へ進む可能性が高まります。
以下では、和解や訴訟の大まかな流れとなりますので、企業としてどの段階でどのような対応をすべきかを検討しておきましょう。
5-1. 交渉・和解
未払い残業代の請求を受けた場合は、まず当事者同士あるいは弁護士を間に入れて話し合いを行い、和解による解決を模索するケースが多くみられます。
企業と労働者が以下のような条件で合意できる場合、裁判手続きを経ずに紛争の終結が可能です。
- 支払金額の確定:賃金台帳やタイムカードを根拠に計算した残業代総額をベースに、互いの合意の下で最終金額を決める
- 支払方法・期日:一括か分割か、具体的な期日や支払回数をどうするか
- 追加請求の放棄条項:今後この残業代請求について再度争わないという確認を相互に行う
和解での解決ができると紛争の早期終結のメリットがありますが、合意内容が不十分だと、後から再請求が生じたり新たな紛争を招いたりする可能性もあります。
企業としては、合意内容・条項に漏れや不足が無いかを十分に検討することが必要です。
5-2. 労働審判
労働審判は、労働問題を迅速かつ柔軟に解決するための手続で、裁判所が中心となり調停や審判を行います。
以下のような特徴があります。
- 期日が3回以内で行われる:通常の民事訴訟よりスピード感がある
- 調停と審判が組み合わさった手続:当事者の話し合いで合意を目指し、合意できない場合は裁判所の審判が下される
- 非公開:労働審判は原則非公開で行われ、企業イメージへの影響を比較的抑えられる
交渉したものの和解での解決が難しかった、または最初から労働審判を提起されてしまった場合は、この労働審判の手続に進むこととなります。
労働審判になると、企業としては速やかに事実関係を整理し、「未払い残業代が本当に存在するのか」「何が争点か」「時効の主張はできるか」などを具体的に立証する必要があります。
期日が3回以内と通常よりもスピードが速いため、1回1回の期日が非常に重要となり、限られた回数の中で必要な主張立証を行うことが求められるほか、労働審判で不調に終わった場合は、通常の民事訴訟に移行することになるため、早期の段階から弁護士に相談し、代理人として労働審判の対応をしてもらうことが推奨されます。
5-3. 民事訴訟
労働審判でも決着しなかったり、労働審判を経由せずに直接訴訟が提起されたりする場合、紛争長期化の恐れがあります。
民事訴訟は公開の法廷で行われることが原則のため、企業イメージの面でも影響が出る可能性があります。
また、裁判費用や弁護士費用がかさむ上に、判決確定まで相当な期間を要することも少なくありません。
使用者側としては、早期の段階で訴訟に備えた準備を行いつつ、可能であれば和解交渉や労働審判の活用など、訴訟外にて迅速に解決を図る選択肢を検討するのが適切といえます。
いずれの場合も、企業側は適切な証拠を整えたうえで弁護士に早めに相談し、状況に応じた戦略的な対応を検討することで、企業としての損失を最小限に抑えられる可能性が高まります。
6. よくあるQ&A:時効と残業代請求をめぐる疑問
Q:従業員が退職して何年経ってからでも請求できるの?
A:法律上は未払い残業代に対して3年の時効があります。
ただし、時効中断の手続きをされれば、その分だけ期間が延長される可能性があります。
退職後しばらく経ってから請求を受けることを想定し、退職後も一定期間は勤怠データ等を保存しておきましょう。
Q:管理職として雇用していた人でも残業代が発生することはある?
A:はい、実態が管理監督者の要件を満たさない場合、形式上の肩書が「管理職」であっても残業代請求が認められる可能性があります。
管理監督者として待遇・権限が与えられていたか、労働時間の自由度が高かったかなど、客観的実態が重視されます。
Q:過去のタイムカードが一部紛失している場合、どう対応すべき?
A:証拠が不十分となり、従業員側の主張が認定されやすいリスクが高まります。
弁護士と相談し、代替となるシステムログや入退館記録などの保存状況を確認する、もしくは就業実態に関する証言・書面等を準備するなどの対策を検討しましょう。
7. 本コラムのまとめ:使用者側が早期に対策することでリスクを軽減
未払い残業代の請求における「時効」は、企業側にとって重要な争点です。
時効期間が3年になった現行ルールでは、従業員や退職者から過去3年分の残業代を一括請求されることもあります。
さらに、訴訟や労働審判などの法的手段によって時効が中断されることもあるため、「もうすぐ時効だから何もせずによい」と軽視するのは大変危険です。
当事務所では、使用者側の労務問題に特化した弁護士を中心に、未払い残業代請求をサポートいたします。
時効や管理監督者の要件、みなし残業制度の適正化など多岐にわたる論点を適切に精査し、今後の再発防止策の構築面含めて企業側の視点に立った実践的なアドバイスを提供しております。
すでに請求を受けている場合、または請求はされていないものの未払い残業代が見つかったがどう対応したらいいか?というようなお悩みがございましたら、できるだけ早急にご相談ください。