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クリニックの事業譲渡で従業員を転籍させる際の注意点とは?同意の要否・引継条件・トラブル回避策を弁護士が実務解説

2026.04.06

クリニックの事業譲渡を検討する際、「従業員はそのまま引き継げるもの」と考えてしまいがちですが、実務上は慎重な判断が求められます。事業譲渡では、看護師や医療事務などの従業員が自動的に転籍するわけではなく、本人の同意や労働条件の整理を誤ると、譲渡後に深刻な労務トラブルへ発展するリスクもはらみます。引き継ぐべき条件の範囲、拒否された場合の対応などを、医療分野の実務に精通した弁護士の視点でわかりやすく整理します。

 

第1章 クリニックの事業譲渡と「従業員転籍」の基本整理

1-1 事業譲渡と雇用承継は別物であるという前提

クリニックの事業譲渡を検討する際、よく誤解があるのが「事業を譲渡すれば、そこで働く従業員(スタッフ)もセットで引き継がれる」という考えです。しかし、事業譲渡と雇用の承継は全くの別物として扱う必要があります。
事業譲渡は、クリニックの資産や営業権を「売買」する手続きであり、そこには従業員という「人」との契約は自動的には含まれません。つまり、譲渡契約を結んだだけでは、看護師や医療事務スタッフとの雇用関係は、依然として元の経営者のもとに残ったままなのです。

1-2 合併・分割との違いから見る転籍の位置づけ

なぜ事業譲渡では自動的に「人」という資産が引き継がれないのか、その理由は他のM&A手法と比較すると分かりやすくなります。

合併

包括承継のため雇用関係も承継されるのが一般的です。

会社分割

労働契約承継法に基づき、承継対象の特定や説明・協議等の手続を踏んだうえで雇用関係が承継されます。

事業譲渡

譲渡対象を個別に特定し、必要に応じて契約等も個別の合意で承継していきます。
事業譲渡における従業員の移動は、現在の雇用主との契約を一度終了(合意解約)させ、新しい雇用主と新たに契約を組み直す形で進めることとなります。

1-3 医療機関における人材継続の重要性

クリニック経営において、従業員は患者との信頼関係を支える顔のような役割といえます。特に地域密着型のクリニックでは、看護師や受付スタッフが変わるだけで、患者が離れてしまうリスクもあります。
事業譲渡は、経営者間にとっては法人や事業の枠組みを移転する手続きに過ぎません。しかし、患者の立場から見れば、経営主体の変更によってこれまでと同じ水準の診療が受けられるかは気になるところです。そのため、従業員が「新しい体制でも安心して働き続けられる」と納得できる説明と配慮を行い、人材の流出を防ぐことが、事業譲渡を円滑に進めるうえで重要といえます。

 

第2章 事業譲渡において従業員は自動的に引き継がれるのか

2-1 原則として雇用契約は当然には移らない

事業譲渡に伴い、雇用契約を移転させるには従業員本人の同意が不可欠です。
実務上の手続きとしては、原則として、譲渡元との雇用契約を終了(合意解約)し、同時に譲渡先と新たな雇用契約を結ぶ形を取ります。この手続きを総称して「転籍」と呼びます。
したがって、経営者同士がいくら「従業員は全員引き継ぐ」と契約書に書き込んでも、従業員本人の承諾がなければ、その契約内容は従業員を拘束できません。

2-2 実務でよくある誤った理解とそのリスク

「事業譲渡後も同じ建物で同じ制服を着て働いているのだから、黙認している(=同意した)ことになるはずだ」という考えは、非常にリスクが高いといえます。書面での明確な同意(転籍合意)がないまま譲渡日を迎えてしまうと、以下のような事態に発展するリスクをはらみます。

雇用契約の存続や賃金支払義務をめぐる紛争

退職の合意の有無や雇用主が誰かが争点となり、地位確認や未払賃金の請求に発展する可能性

二重雇用の状態

譲渡元と譲渡先のどちらが雇用主か曖昧になり、残業代や福利厚生の責任所在で紛争になる可能性

従業員は自動的に移籍するものではない、という原則を軽視すると結果的にクリニックの存続が危ぶまれる事態も想定されるのです。

 

第3章 従業員を転籍させるために必要な「同意」の考え方

3-1 なぜ本人の同意が必要とされるのか

民法上、雇用契約は「誰の下で、どのような条件で働くか」という点について、使用者と労働者との信頼関係を前提として成立する契約と位置づけられています。そのため、雇用主が一方的に変わることは許されず、本人の承諾なしに雇用主を第三者へ移転させることは原則としてできません。
特に医療機関では、院長の診療方針や医療に対する姿勢、職場内の人間関係といった要素を重視して勤務先を選んでいる従業員も少なくありません。経営主体が変わることは、こうした前提条件が変化する可能性を含んでおり、決して小さな問題ではありません。
円滑に診療体制を引き継ぐためには、法的に必要な手続きを整えるだけでなく、「新しい体制でも安心して働き続けられる」と従業員が納得できるかどうかという視点が不可欠です。

3-2 同意の対象となる事項の整理

転籍の同意を得る場面で、「転籍してほしい」という結論だけを伝えても、十分とはいえません。従業員が判断するために必要な情報を、具体的に示すことが重要です。実務上、最低限整理すべき事項は次のとおりです。

雇用主の変更

誰が新たな経営者(院長・理事長)になるのか、どの法人が雇用主となり、給与の支払主体になるのかを明確に伝える必要があります。法人名だけでなく、経営体制の概要を補足することも安心感につながります。

労働条件の変更有無

給与額や賞与の考え方、勤務時間、休日、福利厚生などについて、従前の条件が維持されるのか、変更があるのかを具体的に示す必要があります。仮に変更がある場合には、その理由や影響についても説明しなければ、後の紛争の原因となりかねません。

3-3 口頭説明だけでは不十分な理由

第2章で見てきたとおり、書面による明確な合意がないまま転籍を進めてしまうと、雇用契約の存続や賃金支払義務をめぐる紛争、雇用関係の混乱といった深刻なトラブルにつながるおそれがあります。こうしたリスクを回避するためにも、「説明した」「反対されなかった」という事実だけで同意があったと判断することは避けるべきです。実際、後になって、「十分な説明を受けていない」「事実上、断れない状況だった」と主張され、紛争に発展するケースも少なくありません。
そのため、転籍にあたっては、転籍の内容や労働条件を明示した書面を作成し、従業員から署名・押印を得た「転籍同意書」を必ず取り付けるようにしましょう。
書面を残すことで、言った・言わないの争いを防ぐだけでなく、譲渡先にとっても、確実に雇用を引き継げる状態であることを確認する重要な資料となります。

 

第4章 給与・勤務条件・勤続年数はどこまで引き継ぐべきか

4-1 原則として維持すべき労働条件の範囲

事業譲渡を円滑に進めるためには、可能な限り従前の労働条件を維持することが、実務上の基本的な考え方となります。特に、基本給や資格手当などの主要な賃金項目を下げて提示した場合、転籍への不安が一気に高まり、経験豊富なベテランほど他院へ流出するリスクが高まります。
譲渡先としては、人件費の適正化を図りたい意向があるのも自然ですが、少なくとも転籍直後の段階では旧条件を維持し、その後に段階的な見直しを検討するなど、急激な変化を避ける配慮が重要といえます。

4-2 変更が許容されるケースと注意点

もっとも、すべての労働条件を無条件に引き継がなければならないわけではありません。事業の再編や診療体制の変更により、やむを得ず労働条件を調整せざるを得ない場面もあります。そのような場合は、その変更がなぜ必要なのかを具体的に説明し、個別に合意を得ることが重要です。
例えば、「旧法人独自の賞与体系が維持できないため、新法人の制度に合わせる一方で、基本給を引き上げる」といったように、不利益を補う代償措置をセットで提示する交渉は、実務上も現実的な対応といえます。
ただし、例えば賃金額を減額する等といった労働条件を引き下げる提案は、条件面を理由に転籍拒否を正当化する要因となり、人材確保が難航するリスクも高まるため、可能な限りで従前の条件を維持できるように努めるのが望ましいでしょう。

4-3 勤続年数・退職金・有給休暇の実務整理

勤続年数や退職金、有給休暇の扱いは、転籍において特にトラブルになりやすい点です。事前に整理せずに進めると、後になって不満や紛争が顕在化しやすくなります。

勤続年数

勤続年数は、退職金の算定や有給休暇の付与日数に直結するケースが多いため、実務上は原則として通算して引き継ぐ対応が多く見られます。勤続年数を転籍先に引き継がずリセットする設計は反発を強めやすいため、慎重な判断が必要です。

退職金

退職金については、転籍の段階で譲渡元が支給するのか、転籍時は支給せず将来支給する予定の退職金を債務として譲渡先が引き継ぐのかによって、税務・会計上の扱いが大きく異なります。例えば、譲渡元でいったん退職金を支給する場合には、譲渡元における損金算入の可否や源泉徴収の要否が問題となります。一方で、退職金債務を譲渡先が引き継ぐ場合には、譲渡対価への反映方法や引当金の計上、将来支給時の課税関係などについて整理が必要となります。

有給休暇

本記事でいう転籍の場合、法的には雇用が別になるため有給休暇は原則として通算されません。ただし、実務では残日数を引き継いで使用できるよう合意・運用で調整することが一般的です。

 

第5章 同意しない従業員が出た場合の対応と限界

5-1 同意しないこと自体を理由に解雇することはできない

事業譲渡に伴う転籍について、すべての従業員が同意してくれるとは限りません。こうした状況になると、「転籍に同意しないということは、この職場では働きたくないということだろうから、事業譲渡のタイミングで退職するのではないか」と考えてしまうかもしれません。しかし、実際には、転籍に同意しないまま退職もしないというケースもあり得ます。さらに重要なのは、このような場合であっても、転籍に同意しないことを理由に直ちに解雇することはできないという点です。
この点を誤って整理してしまうと、後に雇用関係や賃金をめぐる問題に発展するリスクがあります。

5-2 転籍に同意しない=退職した、とはならない

転籍に同意しないという意思表示は、「新しい雇用主のもとでは働かない」という意思を示しているにすぎません。これは、「現在の雇用主との雇用契約を終了したい」という退職の意思表示とは別のものです。したがって、事業譲渡が行われても、従業員が明確に退職の意思を示さない限り、譲渡元との雇用契約は原則としてそのまま残り、引き続き譲渡元の従業員として扱う必要があります。

5-3 事業譲渡により職場や業務が消滅した場合

実務では、事業譲渡によって診療現場が譲渡され、譲渡元では診療業務が行われなくなるケースも少なくありません。この場合、譲渡元において当該従業員に割り当てる業務が存在しなくなることがあります。しかし、雇用契約が消滅したわけではないので、使用者側の事情で就労できない状態であれば、休業の扱いとなり休業手当の支払が問題となる可能性があります。そのうえで、事業譲渡によって事業が実質的に終了し、雇用の維持が不可能な場合には、最終的に「整理解雇」として雇用関係を終了させるかどうかが検討されることになります。

5-4 着地点は「何もせず雇用を残す」か「適法な手続きを踏んで整理する」

実務上の結論としては、転籍に同意しなかった従業員について、

  • 雇用契約を残したまま休業状態とする
  • 解雇回避措置を尽くしたうえで、整理解雇として雇用関係を終了させる
    のいずれかに整理されるのが一般的です。

     

    第6章 従業員への説明の際に生じやすいトラブルと対応のポイント

    6-1 条件確定後の全体周知と個別対応の進め方

    事業譲渡は守秘の観点から、条件が固まるまでは従業員に開示せずに進めるのが通常です。そのため、実務上は条件確定後にまとめて説明する流れになりますが、譲渡までの期間が短いと同意取得の時間が不足しやすいため、一定の余裕を持ったスケジュール設計が重要です。
    説明は、まず全体に概要と基本条件を周知し、その後に個別面談で具体的な労働条件や勤続年数・退職金の扱い、転籍に同意しない場合の整理を説明し、同意の可否を確認するのが一般的です。

    6-2 個別説明で整理すべきポイント

    全体説明を行った後には、個別面談の場を設けたうえで従業員一人一人と条件面のすり合わせを実施し、転籍の同意を得ることが必要です。
    個別説明では、少なくとも次の点を整理して伝える必要があります。

    • 転籍するか否かは本人の自由意思であること
    • 転籍した場合の雇用条件がどうなるのか
    • 転籍に同意しなかった場合、雇用関係がどのように整理されるのか

    特に最後の点については、「同意しなければ自動的に辞めることになるわけではない」一方で、「雇用がどのような形で整理され得るのか」を正確に説明しておかなければ、後の紛争の原因になりかねません。

    6-3 説明内容を記録として残す重要性

    説明を行った事実や、その内容については、後から確認できる形で残しておくことが重要です。口頭説明だけに頼ると、「そんな説明は聞いていない」「違う説明を受けた」といった新たな問題が生じやすくなります。
    説明資料の配布、説明日時や参加者の記録、個別面談の実施記録などを残しておくことで、紛争予防の観点だけでなく、経営判断の正当性を後から説明しやすくなります。

    6-4 説明の仕方が、その後の選択を左右する

    転籍の可否や条件そのもの以上に、従業員の意思決定に影響を与えるのが「説明の仕方」です。事業譲渡においては、会社として従業員にも継続して働いてもらうことが望ましいため、単に条件を示すだけでなく、譲渡の背景や転籍後の体制、働き続けるメリットまで含めて丁寧に伝えることが重要です。
    あわせて、雇用の安定性や職場環境の変化など、従業員が不安に感じやすい点を先回りして説明し、「この体制でも働ける」と具体的にイメージできる状態をつくることが、同意取得の現実的なポイントになります。
    もっとも、転籍は本人の自由意思に基づくものであるため、結論ありきで同意を迫るような説明は適切ではありません。会社の意向は伝えつつも、最終的な判断は従業員に委ねる姿勢を保つことが、円滑な転籍とトラブル回避につながります。

     

    第7章 従業員転籍を円滑に進めるために

    クリニックの事業譲渡における従業員の転籍は、単なる事務手続きではなく、従業員一人ひとりの人生と向き合う重要な経営判断です。
    私たちNexill&Partners(ネクシル&パートナーズ)グループは、弁護士・社会保険労務士・税理士・司法書士・行政書士が一体となったワンストップサポートを行っています。契約書の作成から、従業員への説明会立ち合い、就業規則の整備、登記手続きまで、すべての課題を一気通貫で解決いたします。転籍時の対応や労務環境の整備に少しでも不安を感じられたら、ぜひお気軽にご相談ください。