医療現場で予期せぬ事故が発生した際、医療機関にまず求められるのは、誠実な説明と冷静な法的整理です。初動における正確な事実確認と、それに基づいた法的整理を適切に行うことが、紛争の長期化を防ぎ、医療機関側の法的な正当性を守る可能性を高めます。本稿では、医療過誤の疑いが生じた直後の段階において、医療機関が行うべき対応を弁護士が具体的に解説します。
第1章 医療事故発生時にまず整理すべき法的責任
医療事故が発生したとき、多くの医療機関ではまず医学的な妥当性を検証します。しかし、紛争化した場合に裁判所が判断するのは、法的責任が成立するかどうかです。
医療過誤が法的に問題となる場合、一般的にまずは次の3要素が検討されます。
- ① 注意義務違反があったか
- ② その違反と損害との間に因果関係があるか
- ③ 現実に法的評価に値する損害が発生しているか
この3つの要素が認められた場合に損害賠償責任が成立し得ます。
重要なのは、事故が起きた事実と、法的責任の成立という結論は同じではないという点です。合併症や予測困難な経過悪化が生じたとしても、それだけで直ちに医療機関側の過失が認められるわけではありません。
初動段階で経営層がまず行うべきは、この3要素の観点から事案を整理することといえます。
第2章 将来の責任評価に耐えうる「診療録と証拠」の保全
2-1 カルテ・看護記録の現状固定と、改ざんを疑われない追記法
医療過誤の有無を判断する際、重要な証拠となるのが診療録(カルテ)です。事故発生後、当時の状況を詳しく残そうとするあまり、不自然な修正や削除を行うことは避けるべきです。事後の書き換えは客観的な証拠としての信頼性を損なうだけでなく、裁判において証拠隠滅を疑われる可能性が生じる場合もあり、主張が認められにくくなる要因ともなり得ます。
記載漏れがあった場合は、元の文章を消さずに「〇月〇日追記」と明記し、事実関係を補足する形をとります。「いつ、誰が、何を書き足したか」を明確にすることで、記録の客観性を担保しやすくなります。
2-2 機器の記録や表示画面など客観的証拠の早期保存
法的な評価においては、医師による経過記録だけでなく、客観的な数値や画像が重視される傾向があります。血液検査の結果や画像診断データに加え、医療機器の動作ログやアラーム履歴なども重要な証拠となります。
特に注意すべきは、生体情報モニターの波形や手術中の機器設定など、リアルタイムで更新される情報です。これらは機器の仕様やメモリ容量により、時間が経つと新しいデータに上書きされ、後からの確認が困難になる場合があります。
そのため、事故直後の画面の状態をスクリーンショットや写真、動画で記録しておくなど、情報の上書きや消去が起こる前に物理的に固定しておく措置が重要です。
2-3 「事故報告書」と「事実記録」を分離して作成すべき理由
院内の再発防止を目的としたアクシデントレポート(事故報告書)には、関係職員の反省や推測が含まれることが少なくありません。しかし、こうした主観的な振り返りは、法的な過失を認める根拠として、患者側から引用されるリスクをはらんでいます。
たとえば、事故報告書内に「確認を怠った」「不注意であった」といった職員の反省の弁が書かれていた場合、それを医療機関側が自ら過失を認めた証拠として扱われ、賠償責任を決定づける要因になる可能性があるのです。
そのため、外部(患者側や裁判所)への開示を念頭に置いた「客観的な事実記録」と、院内改善のための「分析報告書」は、作成の目的と性質を明確に分けて管理することが推奨されます。関係者の記憶が鮮明なうちに、まずは発生した事実のみを時系列で整理した記録を固めておくことが適切な初動対応といえます。
第3章 「謝罪」と「説明」における法的な留意点
3-1 お詫びが過失の認諾とみなされないための表現の使い分け
医療機関として、予期せぬ結果が生じたことに対して遺憾の意を表することは、信頼関係の維持において必要な対応の一つです。しかし、過失の有無が判明していない段階で「こちらのミスです」などと断定的な発言をしてしまうと、それが法的な過失の認諾(自白)として扱われる可能性も否定できません。
「ご期待に沿えない結果となり、申し訳なく思っております」といった事態に対する謝罪に徹し、責任の認諾とみなされる表現を使い分けることが望ましいといえます。
3-2 患者家族への説明会で「原因は調査中」と回答する際の法的正当性
家族から即座に原因究明を迫られたとしても、不明な点を推測で回答することは避けるべきです。不確かな説明が後に覆されると、不信感を招く原因となります。
「現時点では正確な原因を特定できておりません。〇日後を目途に調査結果をご説明します」と、調査の期限などを明示した上で回答を留保することは、正確な情報提供を行うという観点からも適切な対応といえます。
第4章 弁護士に相談すべき局面の判断基準
4-1 患者側が弁護士を帯同、あるいは証拠保全の手続きを示唆した時
患者側が弁護士を代理人に立てた場合、あるいは裁判所を通じた証拠保全(カルテ等の差し押さえ)の手続きを示唆してきた場合は、法的紛争に発展する可能性が高い段階といえます。
このような状況では、迅速に弁護士へ相談し、法的観点からこれまでの対応を見直すことが推奨されます。相手方の弁護士と対等に交渉を行い、不用意な合意や法的に不利な回答を避けるために、専門家の介入が求められる局面といえます。
4-2 死亡事故や重篤な後遺症など、賠償額が高額化する見込みがある時
予期せぬ死亡や重い障害が残った事案では、逸失利益や慰謝料を含めて損害賠償額が高額になる傾向があります。
賠償額が高額化する事案では、過失の有無や因果関係の判断によって、医療機関が負う賠償額が大きく変わる可能性があります。そのため、初期段階から弁護士が関与し、過去の裁判例に基づいた適切な賠償範囲の予測や、医学的知見を法的な反論へ落とし込む準備を進めることが、適正なリスク管理につながります。
4-3 院内の事故調査委員会を立ち上げる際の構成と中立性の確保
重大事故が発生し、院内に事故調査委員会を設置する場合、その調査報告書の内容は後の裁判等において重い証拠価値を持つ場合があります。院内の関係者のみで構成された委員会による調査は、後に、身内に甘い調査として患者側から批判を受ける原因になるおそれがあります。
委員会の立ち上げ段階で医療事案の経験が豊富な弁護士を外部委員として招聘し、法的・中立的視点を取り入れることで、調査の信頼性を担保することが重要です。こうした体制を整えることは、報告書が後の紛争で、医療機関側にとって不利な証拠として扱われるリスクを低減する観点からも検討すべき事項といえます。
第5章 客観的事実に基づいた迅速な初動が信頼と経営を守る
医療事故・医療過誤への初動対応においては、事実を正確に保存し、法的に整理することが重要です。初動で作成した記録や説明の内容は、その後の解決の方向性を左右する基盤となります。
私たちNexill&Partners(ネクシル&パートナーズ)グループは、医療法務に精通した弁護士だけでなく、税理士や社会保険労務士などの専門家が一体となったワンストップ体制を整えています。法的な解決のサポートはもちろん、賠償に関連する財務上の処理や対応にあたるスタッフの労務管理まで、直面する課題を包括的に支援いたします。専門的な対応や具体的な法的整理が必要な場合は、お気軽にご相談ください。