税務調査は、特別な事業者だけに起きるものではなく、一定の期間ごとに誰にでも起こり得る「経営上の通過点」です。
なかでも医療機関やクリニック・薬局は、現金収入や自由診療の割合、法人と個人の資金関係が複雑化しやすいことから、調査対象に選ばれやすい業種のひとつとされています。
本記事では、弁護士・税理士の視点から、医療業界特有の論点・日常的な備え・調査時の対応までをわかりやすく解説します。
1. 医療機関・クリニック・薬局の税務調査はなぜ狙われやすいのか?
1-1. 税務調査における「業種別重点対象」としての医療業界
国税庁では、業種・規模・過去の申告状況などを勘案して税務調査の対象を選定しており、
医療機関や薬局は「現金取引が残りやすい」「診療報酬と自由診療が混在する」「法人と個人の資産管理が複雑化しやすい」といった特性から、実務上、調査対象に選ばれやすい業種の一つとされています。
明文化された業種リストが毎年発表されているわけではありませんが、
税理士や会計専門誌等の現場報告でも、医療業界が調査重点業種として取り上げられる傾向が強いことがうかがえます。
1-2. 医療法人・個人開業医・薬局で異なる調査リスク
医療機関といっても、医療法人として運営しているケースと、個人事業として開業しているケースでは、税務調査における論点やリスクの種類が異なります。
医療法人の場合
→ 医療法人と理事長個人の間の金銭授受(貸付金、立替、役員報酬など)が調査対象になることが多く、法人と個人の分離管理の徹底が重要です。
個人開業医の場合
→ 生活費との混同や、配偶者・親族への専従者給与の妥当性、現金収入の計上漏れが見られやすいポイントです。
薬局の場合
→ 調剤報酬とOTC(市販薬)売上の区分、仕入と棚卸処理の正確性、レジ現金の管理など、在庫管理と売上処理の適正性が問われます。
このように、運営形態や業種の違いによって、調査時に重点的に見られるポイントが異なることを理解しておくことが大切です。
1-3. 税務署が重視する“調査しやすい業種”の特徴
税務署が調査対象を選定する際、「数字の異常値」や「過去の申告傾向」だけでなく、「調査を入れた際に成果が得られやすいかどうか(追徴の見込み)」も重視されます。
医療業界は、
- 収入が安定している(診療報酬・調剤報酬などの固定的収入が多い)
- キャッシュフローが潤沢で、追徴に応じやすい
- 過去に調査がなかった期間が長くなっているケースが多い
といった特徴があり、「調査効率が高く、成果につながりやすい」と判断されやすい業種とされています。
そのため、真面目に帳簿を付けていても、一定期間ごとに“自動的に”調査対象に選ばれることがある点にも注意が必要です。
2. 税務調査でよく指摘される医療業界特有の論点
2-1. 診療報酬・調剤報酬の収入計上タイミング
診療報酬や調剤報酬は、実際の診療日と入金日との間にタイムラグがあるため、「いつの収入として計上するか」がずれることがあります。
- 原則は「診療日(または調剤日)」の属する月の収益として計上すべき(発生主義)
- しかし、「入金ベース」で処理していると、翌期計上や過年度の収入漏れ扱いになる
税務署はこのタイムラグに注目し、レセプト請求内容・入金日・帳簿の記載を突き合わせて、整合性をチェックします。
この点がズレていると、「意図的な収入の繰延べ」とみなされるおそれがあります。
2-2. 自由診療・美容施術の現金管理と売上計上
自由診療(美容皮膚科・審美歯科・AGA治療など)では、現金払い・カード決済ともに保険診療とは異なる売上管理体制が必要です。
- 受付のPOSレジと帳簿の売上記録にズレがないか
- 領収書が発行されているか/金額・日付が一致しているか
- 一部の施術が未収として記録され、計上漏れになっていないか
調査では、カルテ・予約台帳・レジデータ・日計表など複数の資料を突合して、現金収入の過少申告がないかをチェックされることになります。
自由診療が多いクリニックでは、特に見られるポイントです。
2-3. 医薬品・衛生材料などの棚卸資産の処理
薬局や在宅医療を行うクリニックでは、医薬品や衛生材料を一定量在庫として保有しているケースが多く、 この「棚卸資産の評価・処理」も重要な税務調査のポイントです。
- 在庫の実地棚卸が年1回きちんと行われているか
- 棚卸表と会計帳簿の在庫残高が一致しているか
- 廃棄・紛失した医薬品の処理が記録されているか
このような資料が曖昧なまま運用されていると、売上計上漏れや私的流用を疑われる原因になりやすいのが実務上の注意点といえます。
2-4. 医療法人と院長(理事長)との取引(役員報酬・貸付金など)
医療法人の場合、法人と理事長(院長)個人との間に金銭のやり取りがあると、その取引の適正性が調査の焦点になります。
- 役員報酬の金額が不相当に高くないか
- 法人から理事長個人への貸付金(名目:立替・仮払等)が発生していないか
- 理事長名義で購入した不動産や設備が法人で経費処理されていないか
このような取引が整理されていないと、「法人資産の私的流用」として課税対象になる可能性があります。
税務署は、法人の資金がどこに流れているかを細かくチェックするため、法人と個人の経理区分を明確にしておくことが非常に重要です。
3. 税務調査の流れと事前に準備しておくべきこと
3-1. 税務署からの連絡〜調査日までの基本的な流れ
通常、税務調査は事前に連絡があり、「○月○日に調査に伺いたい」と通知されます(※無予告のケースもまれにあります)。 調査には、1〜2名の調査官が来訪し、1日〜3日程度にわたって帳簿・証憑の確認、経理担当者へのヒアリング等が行われます。
大きな流れとしては以下のようなイメージです。
1. 税務署からの連絡
2. 調査日・対象年度・調査目的の確認
3. 必要書類の準備依頼(帳簿・請求書・契約書など)
4. 現地調査の実施
5. 指摘事項の提示・修正申告の打診
6. 必要に応じて修正申告・追徴税額の確定
税務調査の連絡が来てから資料等を整理するのは現実的に難しいことが多いため、日頃からいつ調査が入っても見せられる状態を保っておくことが大切です。
3-2. 調査時に確認されやすい書類・帳簿・証憑とは
税務調査では、まず「帳簿と証憑(裏付けとなる書類)」が整っているかを確認されます。
税務署が重点的にチェックする主な資料は以下のとおりです。
- 総勘定元帳・試算表・仕訳帳・現金出納帳などの会計帳簿一式
- 請求書・領収書・契約書・納品書などの支払証憑類
- 預金通帳・クレジットカード明細・電子決済記録(Square、PayPay等)
- 給与台帳・賃金台帳・源泉徴収簿・社会保険関係書類
- 固定資産台帳・減価償却明細
- 法人と個人の間の金銭授受の記録(貸付金・立替金・仮払金など)
特に医療機関では、現金の取扱いや自由診療の売上が帳簿に正しく反映されているかが重視されます。診療日報と売上集計表が一致しているかといった“帳簿の裏付けと現場実態の整合性”が確認されるため、数字が合っていても証憑が出せないとなると大きな指摘対象になりかねません。
3-3. 医療機関における特有の準備物(診療日報・レセプト・在庫記録など)
医療機関・薬局には、一般企業と異なり、業界特有の会計資料や日常管理帳票があります。
税務調査では、以下のような“医療機関ならではの帳票”についても確認が求められます。
診療日報・受付日計表・予約台帳
→ 実際に診療が行われた日の患者数や収入を記録した帳票。
売上計上のタイミングや現金管理と整合性があるかが確認されます。
レセプト控・診療報酬請求書
→ 保険診療分の収入根拠。
診療月と入金月のズレにより、収入の繰延べや漏れがないかをチェックされます。
薬品在庫表・棚卸記録・発注台帳(薬局・在宅診療)
→ 在庫評価の正確性を確認するため、月末棚卸と帳簿上の残高が一致しているかが見られるほか、廃棄薬品の処理記録や返却伝票の管理も確認される点になります。
スタッフ出勤簿・勤務表・雇用契約書
→ 専従者給与・使用人兼務役員などの支給根拠を確認するため、実際の勤務実態と賃金支給額の整合性があるかが調査対象になります。
これらの資料は、税務調査の際に口頭ではなく書面で説明することが求められますので、日常的に整備・保存されていないと調査官からの不信を招くリスクがあります。
4. 税務調査で見られる実務ポイントと日常的な経理処理の注意点
税務調査では、売上や経費の金額だけでなく、「処理の根拠が明確か」「記録が残っているか」「法人と個人の線引きが適正か」という実態部分が厳しく確認されます。
以下、医療機関やクリニックにおける税務調査の際に注意すべき論点を、日常的な経理処理とセットで整理しておきます。
4-1. 売上管理|自由診療・現金取引・計上タイミングの注意
【調査でよく見られる点】
- レセプト(保険診療)と自由診療の売上が帳簿と一致しているか
- 現金売上(美容医療、サプリ販売、OTCなど)の計上漏れがないか
- 日々の売上日計表、POSレジ、予約システムなどの金額が一致しているか
- 自費売上の前受・キャンセル分の処理が曖昧になっていないか
【対応のポイント】
- 売上日計表・レセプト控・領収書・POSデータを定期的に突合する
- 現金売上は必ず締め処理し、「誰が・いつ・どこで」処理したかを記録
- 前受金の処理(例:美容医療コースなど)についてはサービス提供時に収益認識するルールを明確化する
- クレジット決済・電子マネー売上も売上日基準で計上し、入金日ベースに引きずられないよう注意
4-2. 経費処理|家事関連費・交際費・按分・棚卸資産の注意
【調査でよく見られる点】
- 自家用車、スマホ、自宅一部など事業とプライベートの併用資産の費用を全額経費にしていないか
- 会食費や書籍代、交際費が業務に無関係な支出になっていないか
- 薬局や在宅診療で仕入れた医薬品の棚卸が期末にきちんと処理されているか
- 廃棄薬品の処理が未記録になっており、仕入と売上のバランスが取れていない状態になっていないか
【対応のポイント】
- 車・携帯・家賃・光熱費等の私的利用分は合理的な基準で按分(出勤日数・業務利用頻度などを根拠に)
- 領収書に誰と何の目的での支出かをメモ書きして交際費・会議費の業務性を証明
- 医薬品・在庫品は月次棚卸表+変動理由(販売・廃棄・返品)の記録を整備
- 廃棄した医薬品については、廃棄記録(立会い記録・証明書等)を保管し、税務署に説明できるようにしておく
4-3. 人件費・家族給与|勤務実態・金額妥当性・帳簿整備の重要性
【調査でよく見られる点】
- 院長や薬局経営者の配偶者・親族に給与や退職金を支払っているが、勤務実態が乏しい
- 使用人兼務役員(例:理事兼事務長)に賞与を支給しているが、規定に基づいていない
- 従業員の給与や労働時間がタイムカード・賃金台帳と一致していない
- 賞与・手当の支給が就業規則・賃金規程に明記されていない
【対応のポイント】
- 家族従業員にも、雇用契約書・出勤簿・給与明細を作成し、勤務内容・時間を記録
- 使用人兼務役員への賞与は「支給可能なこと」「支給ルール」が規定上明確になっているかを確認
- 就業規則や賃金規程に賞与・手当・評価制度の反映ルールを記載しておくことで、支給の正当性を説明しやすくなる
- タイムカードやシフト表などと、給与計算・源泉徴収簿・帳簿がすべて整合している状態を維持する
4-4. 法人と個人の分離管理|「一体化経営」にならないための基本
【調査でよく見られる点】
- 医療法人の口座と理事長個人の口座間で資金の移動が頻繁にあり、実態が法人なのか個人なのか曖昧
- 法人クレジットカードで、プライベートな支出を行っている
- 理事長が法人名義で保有する不動産や車を私的に利用しているにもかかわらず、使用料を支払っていない
【対応のポイント】
- 法人と個人の預金口座・クレジットカード・財布は完全に分離
- 仮払金や立替金が発生した場合は都度精算し、帳簿を残す(長期滞留は貸付金とみなされる)
- 法人資産を理事長や家族が利用する場合は、使用料相当額の計上や、合理的な按分計算を必ず行う
- 法人⇔個人間の取引は、契約書・議事録などで正当な理由と金額根拠を明確化
5. 税務調査が入ったときの対応ポイント
5-1. 現場での受け答えは正確に・分からないときは保留にする
税務調査は“裁判”ではありませんが、調査中の発言は記録され、後日の課税処分や是正通知に影響することがあります。
以下のような注意点を意識しておくとよいでしょう。
- 質問には正確に答える。ただし曖昧な点は「確認して後日回答します」と一旦保留する勇気を持つ
- 事実確認が不十分なまま「それ、やってません」「覚えていません」と安易に否定しない
自身のみでの対応に不安がある場合は、弁護士や税理士に同席・相談できる体制を整えておくことが最も安心です。
5-2. 是正指摘を受けた場合の修正申告・加算税・延滞税への対応
調査の結果、何らかの是正を求められた場合は、原則として“任意での修正申告”が求められます。
このときに課される可能性があるのが以下の税額です。
- 本税(過少申告分の本来の税額)
- 加算税(申告漏れに対するペナルティ)
- 延滞税(納付遅延に対する利息)
仮に悪質性がない場合でも、加算税は5〜30%程度が基本となります(重加算税は35〜40%)。
ただし、申告ミスを正直に申告し、協力的な態度を取った場合には、加算税の軽減や不課税処理がされるケースもあります。
そのためにも、税務調査時の説明と対応はできるだけ誠実に行うように心がけましょう。
5-3. 税理士・専門家との連携により自院の会計状況を把握しておく
税理士に会計を任せている場合でも、院長・理事長自身がまったく内容を把握していないと、 いざ調査が入ったときに“現場の説明ができない”状態になることがあります。
そのため、次のような点については普段から現状がどうなっているのか正確に把握をしておくことが望ましいでしょう。
- 月次の売上・経費・利益水準と、人件費率など主要指標
- 医療法人であれば役員報酬、貸付金等の状況
- 自由診療と保険診療の売上構造
- 税務調査の基本的な流れ、仮に今すぐ税務調査が入ったときに懸念点がないか
税理士と定期的に打ち合わせし、会計状況を適切に把握しておくことで、突然の税務調査の際も正確な説明・対応ができるようになります。
6. FAQ|医療機関・クリニック・薬局の税務調査に関するよくある質問
Q1. 税務調査はどのくらいの頻度で来るものですか?
A. 税務調査が来る頻度は事業の規模や収益状況、過去の申告内容によって異なりますが、個人開業医の場合は5〜7年に1度、医療法人は3〜5年に1度程度の割合で調査が入るケースが多いです。 売上規模が大きい、自由診療割合が高いなどの場合は、より頻度が高くなる場合があります。
Q2. 税務署は“どこから”情報を得て調査対象を選んでいるのですか?
A. 税務署は、過去の確定申告データや医療法人の事業報告書、各種届出書、第三者からの情報提供(例:レセプトの保険者通知や匿名通報)などをもとに調査対象を抽出しています。明示はされていませんが、医療機関・薬局は「現金収入」「自由診療の多様性」「高額収入」などの特性から、調査対象として比較的選ばれやすい業種とされています。
Q3. 税務調査の対象になった場合、診療録(カルテ)や予約表も見られるのですか?
A. 調査の中で売上の整合性を確認するために、カルテ・診療録・予約表など“医業収入の根拠となる資料”の提出を求められる場合があります。 ただし、カルテ内容そのものを詳細に読み取るのではなく、「この日に診療があったか」「自由診療分が売上に反映されているか」などを確認する目的に限られます。なお、カルテや予約表には患者の個人情報が含まれるため、提出の範囲や方法には十分な配慮が必要です。
調査官から提示を求められた場合でも、すべての内容を開示する必要があるわけではなく、事前に税理士や弁護士と相談したうえで、税務調査上関係する必要最小限の情報に限定して対応することが可能です。
Q4. 電子帳簿保存法に対応していないと調査で不利になりますか?
A. 2024年1月以降、電子取引(例:PDF請求書、メール添付の領収書、クラウド請求書など)に関しては、電子データとしての保存が義務化されています。 2025年9月現在では、法令上の猶予期間は終了しており、要件に沿った電子保存が原則とされています。
ただし、現時点においては、未対応だからといって即座に何らかのペナルティが課されるような運用にはなっておらず、税務署側も実態や事業規模を勘案しながら、「保存義務違反」として形式的に経費否認するケースは限定的です。
とはいえ、電子取引データの保存体制が整っていないことで、調査時に確認作業が煩雑になり、証憑不備とみなされる可能性や、過去取引の説明負担が重くなるリスクは十分に存在します。
そのため、以下のような対応を日頃から進めておくことが望ましいでしょう。
- クラウド型請求書やPDF領収書は、ファイル名や保存フォルダを「取引年月日+取引先名」等で整理
- タイムスタンプ要件または訂正履歴のあるクラウド環境を使うことで保存要件を満たす
- 税理士と連携し、「保存方法の方針」を定めておくことで、調査時に説明しやすい体制を構築
Q5. 調査を断ることはできますか?
A. 原則として、正当な理由がない限り、税務調査を拒否することはできません。 ただし、「当日はどうしても手術がある」「経理担当者が長期不在」など事情がある場合には、日程の再調整は可能です。 また、事前通知のない“無予告調査”であっても、弁護士や税理士の立会いを求める権利はあります。 調査を円滑に進めつつ、リスクを最小限に抑えるためにも、専門家への早期相談が非常に重要です。
7. 当事務所の医療機関支援体制(税理士・弁護士連携)
当事務所では、税理士法人と弁護士法人をはじめ、複数士業をグループに擁しており、医療機関支援に精通した税務・法務・労務を横断的にカバーする体制を整えています。
<ご提供可能なサービス例>
- 税務調査の事前診断・調査立ち会い・是正対応のサポート
- 医療法人の会計・契約・議事録の整理と説明補助
- 自費診療における収益認識・現金管理マニュアルの整備
- 職員への給与・賞与支給体制の法的チェック
- 家族給与・資産管理・法人⇔個人間取引の棚卸し
医療機関の構造・制度・運営のリアルを理解したうえで、現場に即した対応ができることが当事務所の強みです。
税務調査の立会いも含めて総合的なサポートをご提供しておりますので、まずは一度ご相談ください。