クリニックを個人で経営していると、「そろそろ医療法人に切り替えるべきか」と考えるタイミングが訪れます。節税や分院展開、事業承継などを見据えて、医療法人化を検討する開業医の方は年々増えています。
しかし、医療法人の設立手続きは非常に煩雑で、厚生局への認可申請、定款の作成、法人登記、税務・労務上の対応など、複数の分野にまたがる準備が必要です。
本記事では、医療法人を設立するまでの流れと必要な手続き、注意点やスケジュール感を、弁護士が解説します。
1. 医療法人とは?設立することで何が変わるのか
1-1. 医療法人の基本的な定義と制度の趣旨
医療法人とは、病院・診療所・介護施設などを開設・運営する法人形態で、「医療法」に基づいて設立・運営されます。個人開業医と異なり、法人格を持つことで、資産・契約・組織が明確に分離され、安定的・継続的な医療提供体制の構築が可能になります。
1-2. 医療法人設立の主なメリットと留意点
メリット:
- 節税の設計方法が増える(役員報酬、退職金スキーム等)
- 分院開設が可能(個人事業では不可)
- 事業承継がしやすくなる(理事長の交代や社員制度を活用できる)
- 法人名義で不動産取得やリース契約が可能
留意点:
- 法人の設立・運営には厳格な法的要件がある
- 配当不可・非営利原則(利益は法人内に留保されなければならず、利益の私的分配はできない)
- 医療法人特有の設置構成要件の遵守が必要(理事、監事の人数など)
2. 医療法人設立までの全体フロー
医療法人の設立は、いつでも手続きできるわけではありません。多くの都道府県では、年に2~3回のみ設立認可申請の受付期間が設けられているため、この期間内で準備を進める必要があります。
設立スケジュールとしては、仮申請から設立認可までに4〜6ヶ月、さらに登記や開設届出などを含めると1〜2ヶ月を加え、合計で半年以上の準備期間が必要です。
限られた申請受付に間に合わせるためには、少なくとも6ヶ月前、できれば8〜9ヶ月前から計画的に準備を始めることが、スケジュールの遅滞や認可申請漏れを防ぐためにも現実的なラインといえます。
以下、一般的な準備の時期と準備の内容を記載しています。
時期 | 準備内容 |
---|---|
8〜6ヶ月前 | 医療法人化の目的明確化/顧問専門家との打合せ開始 |
6〜4ヶ月前 | 定款案・役員構成の検討/厚生局・保健所との事前相談 |
4〜2ヶ月前 | 設立認可申請書類の作成/関係者から署名・押印の取得 |
2ヶ月前〜 | 認可通知の受領/登記申請・税務署・年金事務所等の届出開始 |
定款設計や法人形態の判断、登記に関する法的制約などは専門知識が必要です。
できれば準備段階(6ヶ月前)から弁護士や行政書士に相談することで、手戻りを防ぎ、効率的に設立準備が進められます。
3. 法務面から見る医療法人設立の手続き
3-1. 設立認可申請と定款の作成・認証
医療法人の定款は、営利法人と異なり、「非営利性」や「医療法に適合した事業目的」など、法律上の厳格な様式と内容が求められます。
設立認可を得るには、都道府県が求める定款フォーマットに沿い、法務面・事務面の要件を満たした書類を整える必要があります。
3-2. 医療法に基づく組織要件と役員構成
以下の役員構成が原則です:
- 理事3名以上(うち1名が常勤理事長)
- 監事1名以上(理事と兼任不可)
すべての役員に履歴書や誓約書の提出が求められ、役員の資格や利害関係にも制限があります。
特に「親族中心の構成」や「同一法人内の兼任」は注意が必要です。
3-3. 理事・監事・社員の選任と関係者間契約
理事・監事の選任は**社員総会(法人の最高意思決定機関)**で決議する形式が求められます。また、家族を役員に含める場合は、税務上・利益相反上の注意点があるため、関係者間での契約書・確認書の整備が有効です。
3-4. 認可取得後の登記手続
設立認可取得後は、認可日または設立に必要な手続終了の日から2週間以内に設立登記を行う必要があり、これを怠ると過料の対象となる可能性があります。
以下のような必要書類をそろえて、速やかに登記手続きを実施しましょう。
・設立認可書(都道府県発行)
・定款・役員名簿・就任承諾書・印鑑届書
・登記申請書・登記用印鑑証明書など
4. 労務面から見る法人化の影響と準備
4-1. 社会保険・労働保険の新規適用手続き
法人化によって、事業主である院長自身も法人の役員(使用者)として社会保険の適用対象になります。あわせて、従業員全員についても法人名義での労働保険(雇用保険・労災)の適用届が必要です。
4-2. 就業規則の再整備と雇用契約の見直し
個人開業医のときに整備していた就業規則や雇用契約書は、法人設立後の体制に即した内容に改定する必要があります。
法人名義・組織体系に合わせて、給与体系や賞与規定、懲戒規定などの再整備を検討しましょう。
4-3. 組織変更による従業員への説明と対応
「法人化によって雇用条件が変わるのでは?」という不安を感じる職員も少なくありません。
法人化にあたっては、従業員向けの説明会や書面による通知を行い、労使トラブルの予防と信頼関係の維持が重要です。
5. 税務面から見る医療法人設立のメリットと注意点
5-1. 役員報酬と給与所得控除の活用
個人事業主として開業している場合、収入はすべて事業所得となり、所得税の累進課税の影響を大きく受けますが、医療法人を設立し、理事長として役員報酬を受け取る形式に変更すれば、給与所得控除を適用でき、実効税率を引き下げることが可能です。
また、報酬金額を適切に調整することで、法人側と個人側の税負担をコントロールし、全体としての税務効率を高めることができます。
ただし、役員報酬は定期同額支給が原則であり、期中の変更には制限があるため、事前の設計が重要です。
5-2. 法人税・消費税の取扱い
医療法人化をすると、法人税の納税義務が発生します。
また、消費税は自由診療収入が多い場合に課税対象となり、課税事業者選択届出の提出要否などを含めた戦略的判断が求められます。
なお、保険診療は非課税ですが、自由診療との兼ね合いで「課税売上割合」が問題になるケースもあります。
医療法人になると、法人税だけでなく、法人住民税(均等割、所得割)や法人事業税の納税義務が生じます。
特に、所得が一定以上になると、個人事業時よりも地方税負担が高くなるケースもあるため、税率構造を把握したうえでシミュレーションすることが重要です。
また、消費税については、法人設立時には原則として免税事業者となる(初年度+翌年度)一方で、自由診療比率が高い場合、課税事業者をあえて選択することも検討に値します。(自由診療で得た売上に対して消費税を納める必要があるものの、同時に医療機器や薬品の仕入れ等で発生する仕入税額控除を受けられるメリットがあるため。)
自由診療が一定比率を超える場合には、「課税事業者選択届出書」の提出要否を含めた事前の検討をすることが、消費税コストの最適化につながります。
5-3. 個人所有資産の取り扱いとリース活用
医療法人化に伴い、診療所建物や医療機器などが開業医個人の名義である場合、その資産を医療法人が引き続き使用するには、使用貸借契約やリース契約の締結が必要です。
このとき、契約内容や賃料の金額が適正でないと、税務上「過大支出」や「所得移転」と見なされるリスクがあります。
そのため、市場価格に基づいた適正な賃料設定や契約書の整備が必須です。
また、法人への資産譲渡を検討する場合には、譲渡所得課税や消費税の課税可否などの論点が発生するため、税理士との連携が欠かせません。
5-4. 家族経営と役員報酬の設定に関する注意点
配偶者や子を理事・監事に登用する家族経営体制を取るケースも多くありますが、実質的に業務に関与していないにもかかわらず報酬を支払っている場合、税務上「名義役員」と判断され、損金算入が否認される可能性があります。
そのため、家族を役員に加える場合でも、職務分掌書・出勤記録・職務報告書等を整備し、実務的な関与を明確にしておくことが求められます。
また、過度な報酬設定も否認リスクを高めるため、相場と業務内容に即したバランスの取れた設計が重要です。
6. 医療法人設立の実務でつまずきやすいポイント
6-1. 厚生局との事前協議不足による書類差戻し・開設後倒し
医療法人の設立認可を受けるには、管轄の厚生局や保健所との事前相談が不可欠です。
申請書式や添付資料、定款内容が自治体ごとに異なることもあり、汎用テンプレートだけでは申請が通らない場面も多くあります。
医療法人設立の説明会を実施している自治体もあるので、初回相談を含めて事前にすり合わせを行いながら手続きを進めることが必須です。
認可申請後に書類が差し戻されてしまうと、1期分(半年〜1年)のスケジュールが後ろ倒しになるリスクがあります。
6-2. 官公庁への手続漏れ
医療法人の設立は、認可と設立登記が完了すれば終わりではありません。医療法人として診療を継続するためには、
- 保健所への届出
- 社会保険・厚生年金の新規適用手続(年金事務所)
- 法人設立届・青色申告承認申請(税務署)
など、複数の官公署への届出が必要です。適切な法人運営を行う上では、労務・税務面でも不備がないよう漏れなく手続きを行うことが重要となります。
6-3. 設立後の体制不備による指導・監査リスク
法人化によって外形的な組織が整っても、実際の運用が実務的に追いつかないケースが多く見受けられます。
とりわけ、以下のような事由によって厚生局からの個別指導・実地指導を受けるリスクが存在します:
- 診療録の不備、レセプト記載ミス、算定過誤
- 患者・従業員からの苦情・通報
- 登記内容と勤務実態の乖離(理事の常勤性、診療科目の未届出など)
- 院内感染対策・医療安全体制の未整備
- 勤怠・就業管理の不備、労務トラブルの発生
こうしたリスクを抑えるためには、事務長等の責任者配置・就業規則や診療体制マニュアルの整備・業務記録の保管徹底など、内部体制の見える化が極めて重要です。
7. 医療法人設立の実務でよくある質問(FAQ)
Q. 医療法人は営利法人と違って収益を出してはいけないのですか?
A. いいえ、収益の獲得自体は問題ありません。ただし、医療法人は「非営利法人」なので、得た利益を配当することが禁止されているという点がポイントです。利益はすべて法人内部に留保し、事業活動の継続や拡大に充てる必要があります。
Q. 分院展開を視野に入れると医療法人化は必須ですか?
A:はい、**個人診療所では複数の診療所を開設することができません。**分院展開や複数拠点運営を考えている場合は、医療法人化が前提条件となります。
Q. 医療法人の定款は自由に作ってよいのですか?
A:定款は基本的な自由度がありますが、**医療法および各都道府県の指導要領に基づいた様式・記載事項が求められます。**特に事業目的、役員構成、理事長の権限規定、社員の定義などについては必ず要件を満たす形式での記載にする必要があります。
Q. 開業してすぐ医療法人を設立した方が有利ですか?
A. 法人化のタイミングは慎重に判断する必要があります。**開業初年度は赤字や収益が安定しないことが多く、法人化によるメリット(節税や承継など)が享受しづらいケースもあります。**数年後に収支が安定してからの法人化も十分選択肢です。
Q. 現金や預金など金融資産だけを出資財産にした場合、認可審査に影響はありますか?
A. 金融資産のみでも認可は可能ですが、事業継続性の観点から「将来の設備投資原資」として合理的かを確認されるケースがあります。開業済みクリニックを法人化する場合は、建物や医療機器を含めたバランスのよい出資計画を提示すると審査がスムーズです。
8.「法人設立+設立後の運営サポート」の一体型支援の重要性
医療法人設立は、単に法人の設立登記や税務手続きだけでは完結しません。
むしろ設立後の労務トラブル・税務対応・行政対応にこそ専門家の力が問われる場面が増えます。
たとえば、以下のような課題は法人設立後に顕在化します:
- 新入職員の雇用契約・研修制度整備
- 外来患者数の増減に伴う人件費設計の見直し
- 保険診療と自由診療の利益配分のバランス管理 など
このように、「法人を作ること」ではなく、「運営を安定させること」を見据えてサポートをしてくれる専門家であると、設立前から設立後まで一貫して任せることができ、医師は安心して診療に集中できます。
弁護士法人Nexill&Partnersグループでは、弁護士だけでなく税理士・司法書士・社労士・行政書士といった複数士業が在籍する強みを活かし、組織体制の再設計、人材マネジメント、資金繰り、承継戦略といった多面的な視点で医療機関の経営支援を行っています。
医療法人化をするかどうか悩んでおられる先生は、まずは一度ご相談ください。